【2025年】新年のご挨拶

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
旧年中(昨年中)は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
本年はより一層サービスの向上に努め、
皆様のご商売に貢献出来ますよう邁進する所存です。

本年も変わらぬご愛顧の程、何とぞよろしくお願い申し上げます。

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 弊社としては、2025年3月末には3期目の決算。そして4月からは創業4年目を迎えます。

ここまで来れたのも、私どもの思いにご賛同頂いた、多くの方に支えられたおかげでございます。

 時代の流れや環境の変化もあるかとは思いますが、初志貫徹な精神を持ち、経営理念の追求ができればと存じます。

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 さて、私事ではございますが、卒業校である”愛媛大学附属高等学校”3期生同窓会に参加してまいりました。

3期生の代は30歳を迎え、成人式からも10年とひとつの節目となりました。

成人式から一度も会えていなかった友人とも再開でき、お互いの成長を目の当たりにし、刺激を受けることが出来ました。

一方で変わらぬ面も有り、当時の思い出が多数よみがえりました。ここまで育ててくれた関係者各位に感謝の気持ちでいっぱいです。

 おみくじのように堅苦しいお話を長々と続けていては、飽きられてしまうかと思いますので、お正月らしいこととして、伊予路巡りをした写真を少々UPいたします。

 伊予とは、かつての行政区分である令制国の一つで愛媛県にあたります。
その中で、今回はとある協会に「美しい日本の歩きたくなるみち500選」と選出された路を巡ってまいりました。

◇軽之神社・軽太子の塚
 紀元435年、允恭天皇の皇太子木梨軽太子と軽大朗女の兄弟を祀る。
 『古事記』によると、軽太子は同母の妹 軽大朗女と許されぬ恋におち、太子は伊予の湯に流された。姫は恋しくてたまらず追いかけて来たが、二人はついに「自ら共に死にたまひき」とある。『日本書紀』では、軽大郎女が先に流されたとある。
 村の人たちは二人の霊を哀れんで神社を建て毎年四月二八日に祭礼を行っている。
 軽太子と軽大郎女を祀った比翼塚がこの東の山裾にあり、その側に二人の詠んだ歌を刻んだ歌碑が建てられている。
 引用『俳句の里 松山』 松山市教育委員会

 歌碑には「天飛ぶ鳥も使ぞ鶴が音の聞えむ時は我が名問はさね」(空を飛ぶ鳥は使いだ。鶴が鳴くときは私のことを尋ねてくれ。)と、軽大郎女の「君が行きけ長くなりぬ 山釿の迎へを行かむ 待つには待たじ」(お迎えにまいります。待ちきれません。)を並べて刻んだ歌碑が建立されている。
 なお、「山釿」とは、植物のニワトコのことで、「山釿の」は「迎へ」の詞となっている。

 軽之神社隣にある「姫池」ではアオサギが、傾き出した陽に照らされた青空を見上げながら佇んでおりました。彼が”天飛ぶ鳥”なのでしょうか。
 
 比翼塚の山茶花は既に見頃は終わっておりましたが、春には桜が立派に花を付けることでしょう。

代表取締役 池田

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